就活生日記─番外編─

 22卒の就活も佳境を迎え、23卒の就活が始動した。

 時々同期の就活生やサークルの後輩からアドバイスを求められることがあるのだが、所詮僕も「ダメ就活生」の範疇に居るので何ら言えることがない。

 ただ、大企業から内定をもらった友人と意見が一致したことがいくつかあったので紹介したいと思う。

 

 まず、「斜に構えないこと」である。

 就活がうまくいかないとつい「日本の制度が云々」「リクルートスーツなんて馬鹿らしい」と思ってしまいがちである。実際、僕も就活が行き詰まってしまった時に何度も思った。

 就活は確かに理不尽である。勉学をひたすらこなしてきた人間は評価されず、サークルでワイワイやって適当にノート写してそこそこの成績を取っていたような人間が大手企業から内定をもらう。あるいは大学名で選別され、説明会にすら参加させてもらえないということもザラである。

 でも「就活なんてクソだ」という気持ちをそのまま持ち込んでしまうと、大抵面接がロクでもないものになる。例えば、言葉の節々にトゲが生まれたり、目がどこ向いているかわからないと言った状況になる。普通そうしたことはなかなか気づかないものなのだが、運の悪いことに人事の社員はそういうところをよく見ている。そして落ちる。落ちたからまた斜に構える。その繰り返しになる。

 改善策は一つしかない。「そういうものだ」と無理やり思い込むことだ。

 ちなみに僕は面接がめちゃくちゃ苦手だったので「面接官を面接中に必ず一回は笑顔にする」という軽いゲーム感覚で楽しむようにした。

 

 次に、「身の程を弁えること」である。

 これはMARCHより下は五大商社目指すな!とかそういうことではない。

 「自分に合った職種」を見極めるということである。例えば他人といるよりも自分一人でいる方が楽な人が営業職を目指すのはお門違いだろう。おそらくそういう人は他人からの干渉が比較的少ない職種の方が向いている。

 僕の場合はひとりぼっちが嫌いな人間だったため、SE職のようなどちらかというと自分で物事を進めるものよりも営業職や開発職のような人と関わりながら物事を進める方が向いていると思い企業選びを行なった。

 そして内々定を頂いた企業様からのフィードバックでも「営業職向きだね」と言われることが多く、おそらく自己分析は間違っていなかったのだろうと感じた。

 

 最後に、「できる限り多くの企業を受けること」である。

 ありがたいことに大学受験と違って就活はいくら受けてもお金がかからない(最終面接等へ赴く交通費を除けば)。

 わざわざESを書いたり志望動機を書いたりWEBテストを受けたり面倒じゃないか、と思われるかもしれないが、何度も書いてると段々と慣れてくるものである。そしてそのうち自分の中でテンプレができてくる。こうなると面接でもスラスラ答えられるし一石二鳥だ。

 もう一つの理由として「持ち駒」の関係がある。世間では6月から就活本番だと言われているが、嘘である。実際2021年6月時点での22卒の内定保有率は6割程度である(もちろんこのアンケートにわざわざ答えるのは成功者だけだからアテにならないという意見もある)。

 内定保有率が高いということは企業の採用枠が埋まっている可能性が高く、逆に採用を後半まで続けている企業は(通年採用の会社を除けば)他の就活生に「蹴られた」企業であることが多いためブラック企業である確率も自ずと高くなる。つまりエントリー開始の3月にある程度の数応募しておかないと6月頃には持ち駒が消滅し、残った企業はブラック企業という惨憺たる状況になってしまいかねないのである。

 

 就活は知らず知らずのうちに心と体を蝕んでくる。精神や身体を壊す前にもうまく乗り切ろう。

 

 ちなみに僕は今絶賛崩壊中である。

就活生日記─後編─

前書き

 シリーズ後編である。2021年に入ってからの就職活動は一般の人が想像する「就職活動」と相違ない。

 説明会・面接の連続や選考合格・不合格通知によって一番心が病む時期でもあり、一番心が晴れやかにもなる時期でもある、精神的にも肉体的にも苦しい期間である。

 何らかのコネクション(裏ルート)がない限りは3月からESの提出や適性検査の受験、そして4月頃から面接が開始する。もちろん、インターンシップへの参加者には早期選考ルートが確約されているケースもあるし、外資系や不動産、金融など一部業界ではこれより早いケースもあるが、概ね先述のような期間で行われることが多い。

 そして特筆すべきは「4年の3月から就職活動を始めるのは遅い」という点である。

 「そんなの当たり前だろう」と思っていらっしゃる方も多いかもしれないが、少なくとも僕は大学3年生になるまではこの勘違いをしていた。就活解禁日にマイナビリクナビといった各種就職情報サイトが「零時打ち(3月1日午前零時に各社説明会の予約が開始されるために、満席となる前に予約競争をすること)」によってパンクするというニュースは聞いていたし、おそらくその時が就職活動の号砲なのだと考えていた。

 だが実際には「インターン参加勢」と「インターン不参加勢」との間では少なからず格差があり、とくに私の志望していた金融業界ではそれが顕著だった。例えば「一部選考の免除」がある。既にインターンシップに参加しているということは、ある程度の文章能力などがあると見做され、改めてES等の提出を求めることがなくなったりする。また、そこまではいかなくとも、適性検査の結果を流用できるケースなどもある。

 ではなんだかんだでインターンシップに参加していた僕は「勝ち組」だったのか。結論から言うとそうではなかった。以降は令和三年に入ってからの僕の状況を書いていこうと思う。

 

一月。初めての面接、そして失敗。

 見出しにある通り、この時期からもう選考をしている企業がある。それは外資系企業である。

 英語もろくに喋れないお前がよく外資系に応募したものだ、とお思いになるかもしれない。私が一番それは感じている。とはいえこの時期に内定がもらえるのならそれに越したことはない、と挑んだのだが敢え無く敗北。原因はやはり英語だった。

 そしてもう一つ受けた企業がリサーチ系の企業であったのだが、そこはES・適性検査ともに通過し、面接を受けさせていただくことができた。しかしこの面接がいわゆる「圧迫面接」であったのだ。

 「ストレスはどのように発散していますか。」

 「はい、私は友人と話をしたり、体を動かすことによって発散をしています。」

 「そんなことで発散できるストレスはストレスとは言いません。」

 「……はい?」

 今思い返してみてもトンデモな面接だったと思う。結局何が正解だったのかも分からないし、人によってストレスの感じ方は違うのにも関わらず否定するのはいかがなものかと感じた。ちなみに、同様の質問を他の企業でも聞かれたことはあるが、この回答に異を唱える面接官の方は後にも先にもこの人だけであった。

 まああまり気に留めてはいけないタイプの面接ではあったのだが、初めての面接がこれだったものだから、私の脳内に「面接=怖いもの」というイメージがまとわりつき、以降面接ではガチガチに緊張してしまうようになった。パワプロでいう「赤特付き」である。

 

二月。説明会ラッシュと冬インターン、そして就職エージェントという悪魔。

 二月に入るとまたもやインターンシップがある。そして大学の試験がある。肉体的疲労が一番大きいのはこの月だったかもしれない。

 何度も聞いた業界動向を「真面目な顔をして」「さも初めて知ったかのように」ウンウン頷きながらノートを取り、質疑応答の時間があれば積極的に質問をする。そして説明会がひとしきり終わったらスーツを脱ぎ捨て試験勉強に勤しむ。

 そして前編で語った「とある企業」からは複数回現場社員や採用担当の社員の方との個別面談を組んでいただき、何度も「うちが第一志望なんだよね?」と問われた。もちろん当時は第一志望だったので「第一志望です」と嘘偽りなく答えた。

 しかし、帰京して参加した初めての対面インターンシップの企業に私は心を惹かれた。確かに大きい会社ではないが、活気に溢れていたし、何より事業内容に独自性があった。そんなこんなで迷いながらESと適性検査を受けていた。

 そんなある日、私の携帯に見知らぬ電話番号から着信があった。「もしかしたらどこかの企業かもしれない。」すぐに電話を取った。

 「こんにちは、就職エージェントの〇〇です〜」

 就職エージェント。聞き覚えがない言葉であった。どうも話を聞く限りは無料で就職活動に相談に乗ってくれるらしい。「ぜひ支援させていただきたい」というのならば……路頭に迷っていた私はつい登録してしまった。

 しかしこれが罠であった。面談の際、就いたエージェントは私に「どういう業界は避けたいとかありますか?」と聞いてきた。SEとして働く父が毎日疲れ果てた顔で帰って来る様子を見ていたため、間髪を入れずに「SEですかね……」と答えた。彼女から返ってきた言葉は「なるほど、わかりました。ではあなたにオススメの企業はこちらのSE職です。」

 私の話のどこを聞いていたんだあなたは。新手の嫌がらせか?

 そもそも私の志望業界の企業は全くマッチングさせてくれなかった。問い詰めると、「でもSE向いていると思いますよ?この会社はそんな難しいことやってないですし。」そういう企業が一番地雷なのだ。いわゆる「ITド●タ」というやつである。実際会社情報を開いてみれば大手SIerの6次請け、7次請けで年収は300万円代。いくら第二次就職氷河期とはいえこれでも国公立大の法学部生である。舐められているのかなんなのか。

 人を信じられなくなった。

 

三月。書類落ち、面接落ち、コネ入社とマウント。

 三月になると平日はほとんど説明会と面接で埋まった。そして夜はESや手書きの履歴書作成、そして適性検査の受験をしていた。

 就職情報サイトの説明会では「100社受けても1社内定取れるか取れないかの就職氷河期の再来」と言われ、私の実力不足もあり書類で落ちることもあった。そして面接に進んでもなかなか実力が伴わずにお祈りを喰らう日々であった。

 そしてその頃私の就活中の友人はといえば、父親が人事部長であるということを活かして3月から就活を始めたにもかかわらずもう内定を獲得していたり、LINEで逐一「この企業が通った」だの「この企業から内定もらった」だのと備忘録のように僕に報告してきたり、彼女とイチャイチャしていたりと楽しい学生生活を送っていた。

 そんな彼らの状況を見て自分の境遇と比べてしまい、さらに自分を追い込んだ(3月下旬以降Twitterに浮上しなくなったのはこれらの投稿を見ないようにするためでもある)。そして体調がボロボロになった。ご飯が喉を通らなくなり、嘔吐もした。不眠症になり3時間睡眠がデフォルトになった。

 中でもきつかったのは件の「とある企業」が一次面接で落としてきたことである。あれだけ「一緒に働きたい」と言ってきたのに。目の前が真っ暗になった。持ち駒がどんどん消えていく。不安に駆られて派遣会社への登録や専門学校への進学も考え始めた。聞いたこともない企業への応募もした。件の就職エージェントを見限り、新しいエージェントサービスで志望業界の企業を複数社紹介してもらったりもした(この会社はしっかりと自分の適性を見極めた上で企業を紹介してくれた)。

 この時点で残った企業は3社。うち一つは二月のインターンに参加した企業。倍率が高いことは予てから知っていたが第一志望に定め、とにかく企業研究をした。普段「アホそう」だとか「何も考えてなさそう」と言われる私が覚悟を決めたのは大学受験で大失敗をした時以来だった。

 

四月。面接突破率の向上と選考合格。

 四月も相変わらず面接だらけであった。そしてその面接の回数は日に日に増え、1日に2、3社の面接を受けることは当たり前と言った状況であった。

 三月と大きく異なるのは複数社の面接を受けてきたために多少コツを掴んできたことだろう。もちろん落選する企業もあったが、その頻度はかなり低下した。次の面接へと駒を進めることで自信をつけ、その自信が次の面接にも繋がっていった。

 そしてついに先月残った企業3社全てで最終面接へ進ませていただくことができた。そのほかにも10数社から二次面接への切符をいただき、「選ばれる側」から「選ぶ側」となってしまった。

 以降の流れはTwitterでも報告した通りである(諸事情により詳しくは話すことができず申し訳ないです)。

 

後書き

 自分が就活の当事者になるまでは「なんとかなるだろう」という甘い考えを持っていた。自惚れていると言われることを承知で言うと、「挫折という挫折がなかった人生」を送ってきたからである。強いていうならば複数校で不合格通知をもらった大学受験が挫折だが、結果的に第一志望校に合格したこともあったため挫折とは感じなかった。

 だから就職活動も自己流で行けばきっとうまくいく。その妄想は一瞬で潰えた。あそこまで企業の広告が疎ましいと感じたことはないかもしれない。自分を落としてきた面接官があざ笑う夢を何度も見た。

 今でこそこんなことを偉そうに書いているが、もしあの時企業を広く見ていなかったら、もし面接で少しでも噛み合わなかったら……と考えるととても恐ろしい。

 就活について言いたいことはたくさんあるが、それらはまたおいおい書いていきたいと思う。

 

 

就活生日記─前編─

前書き

 先日、約一年間続けてきた就職活動にピリオドを打つことができた(とはいえ、今後様々な手続きをしなければならないので正式に終了とはいえないのだが)。

 この一年間を振り返ってみると、ただただ辛いものであった。コロナ禍による採用人数大幅減少、元々志望していた業界の採用活動打ち止め、そして「公務員」の現実を突きつけられる……。

 こんなことはもうしたくない。が、これから就職活動を控えているフォロワーの方もいること、そして凡人なりにも努力をしたことを記録に残すために書き記すことにした。

 

六月。インターンシップ予約の開始

 六月は企業が夏期インターンの募集を開始する時期である。大抵の人間はここで動く。

 かくいう私もその一人であり、業界にこだわることなく(実は旅行業界に進みたかったのだが、“アレ”のせいでスタートラインにすら立たせてもらえなかった)様々なインターンシップへ応募した。鉄道・商社・政府系機関・コンサル・リサーチ・銀行・証券・損保・生保・クレジットカード・信販…ざっと20社から30社程度だろうか。

 これを多いとみるか少ないとみるかは捉え方次第だが、少なくとも私の周りはよほど業界を絞っているだとか、外資系で既に採用活動が開始している人でもない限り20社程度は応募していた。

 まあこの中でも受かったのは半分程度であり、複数日に跨るインターンとなれば片手で数えるほどであった。

 

七〜九月。インターンシップへの参加

 そんなこんなで受かった企業のインターンシップに参加していたのだが、私がその中でも心惹かれたのがクレジットカード業界であった。自分自身クレジットカードをよく使うこともあるが、何より雰囲気が金融系の中では格段に良かった。

 その中でも「とある会社」は4Daysのインターンシップに私を招いてくれ、参加後に個別の面談まで開いてくれた。この時、私は心の中で「この会社を第一志望にしよう」と思ったのである。今振り返ればアホらしい理由ではあるのだが(実際には200人程度参加しており、プログラムの一つとして個別面談が組み込まれていただけ)、承認欲求の権化とも言われる私の志望度を上げるには十分すぎる「接待」であった。

 

十〜十二月。秋インターンと勉強

 10月に入ると今度は秋期インターンの募集がある。しかしながら夏期のそれとは異なり大学の講義と重なってくる。

 私は同時並行できるほど賢くはなかったのでほんの数社にしか参加せず、業界研究と企業研究の時間に割いた。

 

前編まとめ

 ざっとこんな感じなのだが、ネタバレをしてしまうとこれでも「超大手」「大手」にはご縁をいただくことができていない(一応名前を聞いたら『あ〜!』となる企業ではあるが)。

 おそらく超大手企業を目指すのであれば少なくとも3年生の6月には業界固めをした上で、様々な対策を講じるべきなのだろう。

新幹線の話

 本当は帰省をするつもりはなかったのだが、どうしても帰ってこいということだったので感染対策をバッチリした上で一人きりでクリスマス・エクスプレスに乗車している。

 僕は帰省する時、大抵新幹線ではなく実家の車で迎えに来てもらう(感染予防というのもある)のであまり乗ることはない。なので新横浜ー名古屋間の新幹線に乗るのは久しぶりかもしれない。

 新幹線の車内もコロナ以前とはだいぶ変わったものだ。まず、席を向かい合わせにして喋っているような家族連れがいない。新幹線というと大抵はしゃいでいる子供の声が聞こえたり、お酒を飲んで上機嫌になっている親御さんの声が聞こえたりするのが定番だったから(普段長期休みの時くらいにしか帰らないというのもあるが)、この静かな新幹線には驚きを感じた。

 静かな新幹線といえば、売り子の人も何も喋らずに車内を巡回するようになった。コロナ禍の4月上旬に一回乗車したことがあったのだが、その時はおそらくコーヒーやらアイスやらの宣伝をしながら回っていたはずである。吉本新喜劇のあのネタもいつかは変わるのだろうか。

 

朝早く起きた日の話

 皆さんは朝の目覚めが頗る良い日はないだろうか。僕はある、そして今日がそうだった。

 普段ならオンデマンドの講義しかなく、一日中暇な金曜日は惰眠を貪っている。そして11時頃に起きては寝すぎてだるい状態でオンデマンド講義を受講するという「最低な生活」を送っている。

 

 ただ、今日は8時にしっかりと目が覚めた。そしてなぜか無性にコメダ珈琲店のモーニングが食べたくなった。スマホで検索したら、ありがたいことに下宿先から電車で数分の所にコメダの店舗があったのでそこに行くことにした。

 Twitterでは「名古屋人なので」と大仰な事を言っていたが、実を言うと僕は名古屋に住んでいる時にあまりコメダに行った事がない。近くのコメダは御老公の社交場となっていたし、市の中心部のコメダはいつ行っても混んでいたから、態々自分で行くこともなく高校の友人たちと遊ぶ時くらいにしか行かなかった。

 小田急の終点、唐木田の駅を降りて少し歩くと、見覚えのある緑の屋根と木組みの店舗があった。中に入るとやはり名古屋のそれと変わらずふかふかの深紅の座席があった。あのふかふかソファー、家に欲しいものだ。売ってもらえないだろうか。

 前の記事でも話した通り、僕はコーヒーが大の苦手なので和紅茶を頼み、モーニングとして小倉トーストをつけてもらった。やっぱり美味しい。以前スーパーで売っているコメダ珈琲店小倉あんで再現しようと奮闘したがこの味は作り出せない。何かコツがあるのだろうか、それとも雰囲気が作り出しているのだろうか。

 

 お財布事情やコロナの関係もあって流石に毎日行くことはできないが、早く起きた朝にはこんな時間を過ごすのもありなのかもしれない。

量産型就活生の話

 大学3年の秋冬シーズンに突入してしまった。

 夏のインターンシップと異なり、秋・冬のインターンシップは就職直結(内定直結)型のモノが多く、多くの就活生が参加する。

 

 そのインターンシップのためのESを書く合間にYouTubeを眺めていたら、こんな動画を見つけた。

youtu.be

 東京藝術大学大学院映像科に所属されていた、吉田まほさんによる作品である。詳しい内容についてはぜひ動画を見ていただきたいのだが、就活生が周りからどのように見えているのかを知ることができ、その「異常性」を再認識できるストーリーとなっている。

 

 

ここから下はネタバレを含みます

 この動画に出てくる主人公と自分との間にはどこか重なるものを感じる。

 最初の場面で、これまでつるんできた友人たちが「就活生」へと変貌する姿に違和感を覚える様子が映し出されるが、自分もまさにこのような感じであった。東海高校の同期や大学の友人たちがTwitterInstagramで就活についての話をし始めた時、なんとも言えない恐ろしさを覚えた。

 「紫の顔をした就活生たち」、これがタイトルにもある量産型就活生である。説明会ではウンウン頷き、説明会が終われば人事担当者に媚を売りに行く。グループディスカッションでは誰よりも発言しようと試み、必死でアピールをする。黒のスーツを着せ、顔を少し変えただけのロボットに過ぎない。

 僕はこんな人たちにはなりたくなかった。もしかしたらこれは僕の心にある変なプライドだったのかもしれないし、ただの「逆張り」だったのかもしれない。しかし今はどうだろう。數十社のインターンシップに参加しては人事にしっぽを振る量産型に成り下がってしまっている。そっちの方がバカにされたとしても長期的に見れば自分の利益になると知ったからだ。所詮僕は金と権力に屈する意気地無しなのだ。

 

 リスクを負って起業もできなければ、会社から引く手数多というような大学に通っているわけでもない。そんな没個性な僕は今後の人生設計を盤石なものにするため、量産型就活生としてアピールする他にないのである。

 そんなことしかできない自分に呆れながら、「私服可」の「オンラインインターンシップ」のために今日もまたリクルートスーツに袖を通す。

 

久々に帰省した話

 自分の出演するテレビ番組の放映と、学園祭が新型コロナウイルス感染拡大に伴い中止になったことが重なり、急遽実家へ帰ることになった。

 久方振りに帰る実家。普段自分が嫌々やるようなこと、例えば食器洗いや洗濯、風呂掃除やご飯の用意など全部親がやってくれるためとても過ごしやすい。それと同時に、これまでそんな大変なことを一手に引き受けてきた母への尊崇の念を覚えるものだ。

 そして、実家に帰ると僕が普段しているような"自堕落な生活"は断じて許されないが故に生活リズムがかなり改善される。朝は延々とシリアルを食べ続けるのではなくちゃんとした料理が出てくるし、22時頃には寝るよう促される(尤も、この時間には寝付けないのだが)。おかげさまで体調が良くなった。

 

 帰省をすると、大概父方・母方の祖父母の家へ挨拶へ行く。そして毎度の如く聞かれるのが、「彼女はできたか?」である。

 この質問への答えについては言及を差し控えるが、友人達も同様の質問を祖父母や親類からなされている旨を聞く限り、大学生の恋愛に対する関心は高いということが窺える。

 

 コロナの影響でこれまでのように東海や水泳部の友人達を大人数集めて食事会、ということは出来なくなっているが、また帰省した時にはぜひ一緒に遊んで頂けると嬉しい。