就活生日記─後編─

前書き

 シリーズ後編である。2021年に入ってからの就職活動は一般の人が想像する「就職活動」と相違ない。

 説明会・面接の連続や選考合格・不合格通知によって一番心が病む時期でもあり、一番心が晴れやかにもなる時期でもある、精神的にも肉体的にも苦しい期間である。

 何らかのコネクション(裏ルート)がない限りは3月からESの提出や適性検査の受験、そして4月頃から面接が開始する。もちろん、インターンシップへの参加者には早期選考ルートが確約されているケースもあるし、外資系や不動産、金融など一部業界ではこれより早いケースもあるが、概ね先述のような期間で行われることが多い。

 そして特筆すべきは「4年の3月から就職活動を始めるのは遅い」という点である。

 「そんなの当たり前だろう」と思っていらっしゃる方も多いかもしれないが、少なくとも僕は大学3年生になるまではこの勘違いをしていた。就活解禁日にマイナビリクナビといった各種就職情報サイトが「零時打ち(3月1日午前零時に各社説明会の予約が開始されるために、満席となる前に予約競争をすること)」によってパンクするというニュースは聞いていたし、おそらくその時が就職活動の号砲なのだと考えていた。

 だが実際には「インターン参加勢」と「インターン不参加勢」との間では少なからず格差があり、とくに私の志望していた金融業界ではそれが顕著だった。例えば「一部選考の免除」がある。既にインターンシップに参加しているということは、ある程度の文章能力などがあると見做され、改めてES等の提出を求めることがなくなったりする。また、そこまではいかなくとも、適性検査の結果を流用できるケースなどもある。

 ではなんだかんだでインターンシップに参加していた僕は「勝ち組」だったのか。結論から言うとそうではなかった。以降は令和三年に入ってからの僕の状況を書いていこうと思う。

 

一月。初めての面接、そして失敗。

 見出しにある通り、この時期からもう選考をしている企業がある。それは外資系企業である。

 英語もろくに喋れないお前がよく外資系に応募したものだ、とお思いになるかもしれない。私が一番それは感じている。とはいえこの時期に内定がもらえるのならそれに越したことはない、と挑んだのだが敢え無く敗北。原因はやはり英語だった。

 そしてもう一つ受けた企業がリサーチ系の企業であったのだが、そこはES・適性検査ともに通過し、面接を受けさせていただくことができた。しかしこの面接がいわゆる「圧迫面接」であったのだ。

 「ストレスはどのように発散していますか。」

 「はい、私は友人と話をしたり、体を動かすことによって発散をしています。」

 「そんなことで発散できるストレスはストレスとは言いません。」

 「……はい?」

 今思い返してみてもトンデモな面接だったと思う。結局何が正解だったのかも分からないし、人によってストレスの感じ方は違うのにも関わらず否定するのはいかがなものかと感じた。ちなみに、同様の質問を他の企業でも聞かれたことはあるが、この回答に異を唱える面接官の方は後にも先にもこの人だけであった。

 まああまり気に留めてはいけないタイプの面接ではあったのだが、初めての面接がこれだったものだから、私の脳内に「面接=怖いもの」というイメージがまとわりつき、以降面接ではガチガチに緊張してしまうようになった。パワプロでいう「赤特付き」である。

 

二月。説明会ラッシュと冬インターン、そして就職エージェントという悪魔。

 二月に入るとまたもやインターンシップがある。そして大学の試験がある。肉体的疲労が一番大きいのはこの月だったかもしれない。

 何度も聞いた業界動向を「真面目な顔をして」「さも初めて知ったかのように」ウンウン頷きながらノートを取り、質疑応答の時間があれば積極的に質問をする。そして説明会がひとしきり終わったらスーツを脱ぎ捨て試験勉強に勤しむ。

 そして前編で語った「とある企業」からは複数回現場社員や採用担当の社員の方との個別面談を組んでいただき、何度も「うちが第一志望なんだよね?」と問われた。もちろん当時は第一志望だったので「第一志望です」と嘘偽りなく答えた。

 しかし、帰京して参加した初めての対面インターンシップの企業に私は心を惹かれた。確かに大きい会社ではないが、活気に溢れていたし、何より事業内容に独自性があった。そんなこんなで迷いながらESと適性検査を受けていた。

 そんなある日、私の携帯に見知らぬ電話番号から着信があった。「もしかしたらどこかの企業かもしれない。」すぐに電話を取った。

 「こんにちは、就職エージェントの〇〇です〜」

 就職エージェント。聞き覚えがない言葉であった。どうも話を聞く限りは無料で就職活動に相談に乗ってくれるらしい。「ぜひ支援させていただきたい」というのならば……路頭に迷っていた私はつい登録してしまった。

 しかしこれが罠であった。面談の際、就いたエージェントは私に「どういう業界は避けたいとかありますか?」と聞いてきた。SEとして働く父が毎日疲れ果てた顔で帰って来る様子を見ていたため、間髪を入れずに「SEですかね……」と答えた。彼女から返ってきた言葉は「なるほど、わかりました。ではあなたにオススメの企業はこちらのSE職です。」

 私の話のどこを聞いていたんだあなたは。新手の嫌がらせか?

 そもそも私の志望業界の企業は全くマッチングさせてくれなかった。問い詰めると、「でもSE向いていると思いますよ?この会社はそんな難しいことやってないですし。」そういう企業が一番地雷なのだ。いわゆる「ITド●タ」というやつである。実際会社情報を開いてみれば大手SIerの6次請け、7次請けで年収は300万円代。いくら第二次就職氷河期とはいえこれでも国公立大の法学部生である。舐められているのかなんなのか。

 人を信じられなくなった。

 

三月。書類落ち、面接落ち、コネ入社とマウント。

 三月になると平日はほとんど説明会と面接で埋まった。そして夜はESや手書きの履歴書作成、そして適性検査の受験をしていた。

 就職情報サイトの説明会では「100社受けても1社内定取れるか取れないかの就職氷河期の再来」と言われ、私の実力不足もあり書類で落ちることもあった。そして面接に進んでもなかなか実力が伴わずにお祈りを喰らう日々であった。

 そしてその頃私の就活中の友人はといえば、父親が人事部長であるということを活かして3月から就活を始めたにもかかわらずもう内定を獲得していたり、LINEで逐一「この企業が通った」だの「この企業から内定もらった」だのと備忘録のように僕に報告してきたり、彼女とイチャイチャしていたりと楽しい学生生活を送っていた。

 そんな彼らの状況を見て自分の境遇と比べてしまい、さらに自分を追い込んだ(3月下旬以降Twitterに浮上しなくなったのはこれらの投稿を見ないようにするためでもある)。そして体調がボロボロになった。ご飯が喉を通らなくなり、嘔吐もした。不眠症になり3時間睡眠がデフォルトになった。

 中でもきつかったのは件の「とある企業」が一次面接で落としてきたことである。あれだけ「一緒に働きたい」と言ってきたのに。目の前が真っ暗になった。持ち駒がどんどん消えていく。不安に駆られて派遣会社への登録や専門学校への進学も考え始めた。聞いたこともない企業への応募もした。件の就職エージェントを見限り、新しいエージェントサービスで志望業界の企業を複数社紹介してもらったりもした(この会社はしっかりと自分の適性を見極めた上で企業を紹介してくれた)。

 この時点で残った企業は3社。うち一つは二月のインターンに参加した企業。倍率が高いことは予てから知っていたが第一志望に定め、とにかく企業研究をした。普段「アホそう」だとか「何も考えてなさそう」と言われる私が覚悟を決めたのは大学受験で大失敗をした時以来だった。

 

四月。面接突破率の向上と選考合格。

 四月も相変わらず面接だらけであった。そしてその面接の回数は日に日に増え、1日に2、3社の面接を受けることは当たり前と言った状況であった。

 三月と大きく異なるのは複数社の面接を受けてきたために多少コツを掴んできたことだろう。もちろん落選する企業もあったが、その頻度はかなり低下した。次の面接へと駒を進めることで自信をつけ、その自信が次の面接にも繋がっていった。

 そしてついに先月残った企業3社全てで最終面接へ進ませていただくことができた。そのほかにも10数社から二次面接への切符をいただき、「選ばれる側」から「選ぶ側」となってしまった。

 以降の流れはTwitterでも報告した通りである(諸事情により詳しくは話すことができず申し訳ないです)。

 

後書き

 自分が就活の当事者になるまでは「なんとかなるだろう」という甘い考えを持っていた。自惚れていると言われることを承知で言うと、「挫折という挫折がなかった人生」を送ってきたからである。強いていうならば複数校で不合格通知をもらった大学受験が挫折だが、結果的に第一志望校に合格したこともあったため挫折とは感じなかった。

 だから就職活動も自己流で行けばきっとうまくいく。その妄想は一瞬で潰えた。あそこまで企業の広告が疎ましいと感じたことはないかもしれない。自分を落としてきた面接官があざ笑う夢を何度も見た。

 今でこそこんなことを偉そうに書いているが、もしあの時企業を広く見ていなかったら、もし面接で少しでも噛み合わなかったら……と考えるととても恐ろしい。

 就活について言いたいことはたくさんあるが、それらはまたおいおい書いていきたいと思う。