ベイスターズの話

 横浜DeNAベイスターズ。応援していて何だが、セ・リーグの中では東京ヤクルトスワローズと一、二を争うレベルで忘れられがちなチームである(もちろん野球ファンを除いた話であるが)と思う。

 名古屋にいるときは、周りは中日ファンばかり。他球団のファンがいても阪神か巨人ばかりで横浜ファンなんて片手で数える程しかいなかった。それもそのはず、ベイスターズセ・リーグ最弱だったからだ。ではなぜ自分がベイスターズファンになったか。

 

 僕がベイスターズの存在を知ったのは2008年。母親の影響もあってゲーム機を買ってもらえなかった僕が唯一ゲームを遊べる祖父母の家でプレイしたWiiのソフト、「プロ野球ファミリースタジアム」からである。

 当時の僕は周りの友人達と同様に中日ファンだった。立浪さんのユニフォームも持ってたし、ファンクラブに入って何度かナゴヤドームにも足を運んでいる。だからプレイするときは迷わず「中日ドラゴンズ」を選択していた。問題はCOMチームである。ファンとは言え、自チームの選手名もろくに知らない(荒木・井端・立浪さんくらい)の僕はとりあえず巨人と阪神は敵に回したらダメなことは知っていた。そんな中で僕が相手として選んだのがTBS時代、暗黒期真っ只中の「横浜ベイスターズ」である。

 毎度のごとく先発三浦大輔をボコボコにし、石井琢・仁志・金城を三振に討ち取り、大抵の場合30点差くらいで勝利していた。ただ、ここまで来ると逆にこの「クソザコ球団」のことが気になった。どうしてこんなにも弱いのか、選手達のやる気はあるのか。それ以来、図書館の野球雑誌を読むときには中日と横浜の記事を見るようになっていた。

 時は過ぎ、2011年。東日本大震災があったこの年に、横浜ベイスターズは身売りした。あまその頃の記憶はないが、父親の買っていた中スポに「モバゲーベイスターズ」という気色悪い球団名が載っていたこと、そして父が「ベイスターズなんていらないんだけどなぁ」といっていたことは覚えている。この頃すでにファン気味ではあったが、胸を張って言えるほどではなかった(恥ずかしかったのもある)。

 決定打となったのは2012年。僕が中日で好きだったブランコの横浜移籍である。高木政権下の中日はかつての勢いを失いつつあり(まだこの年は2位だったが)、横浜の中畑監督は面白おじさんとして度々ニュースに取り上げられていた。おそらくここで完全に横浜ファンになっている。

 それ以降は横浜ファンとして長らくやっている。ラミレス監督に変わってからは「勝てる球団」にもなってきた。今後がとても楽しみである。